神宮寺   真言宗豊山派   歴史と仏壇の飾り方   四十九日法要までに本位牌の準備
古河市横山町1の1の11 電話0280−22−1712 総本山奈良県櫻井市 長谷寺 本尊 不動明王
四十九日法要までの準備
七七日(四十九日)
お位牌の種類と価格
ご本尊と仏像の価格
本位牌と過去帳
仏壇とご本尊
仏壇の飾りかた例
下記の写真は、一例です。
地域や仏壇の大小などによって、まつり方に違いがありますので、正しくは、菩提寺に確認して下さい。
在家ご本尊

在家ご本尊

不動明王 大日如来 弘法大師
安置仏
十一面観音菩薩
茨城県指定有形文化財 古河の総鎮守雀神社の本地仏として、永く同神社境内の観音堂に安置されてあったが、明治二年(1869年)神仏習合が禁止されて、この寺にもどされた。
歴史
 この寺は、後花園天皇の御代即ち、文安三年(1446年)五月、良宥上人の開基で、もとは鎌倉にあり、関東公方足利成氏の帰衣が深かった。
 享徳四年(1455年)、関東公方足利成氏が、関東管領上杉憲忠と争い、これを謀殺したため、幕府の追討を受け、鎌倉から古河城に移り、古河公方と称したが、この時、成氏の守り本尊である十一面観音菩薩像を良宥上人が守護して、ともに古河に移り、古河城中の観音寺曲輪を賜り建立し、心城院と称した。
 後に、成氏の命により、この十一面観音菩薩を雀神社の本地仏とし、 境内の観音堂にまつられた。心城院を別所祈願所とし、法施として寺領七石を賜った。 元和六年(1620年)城主奥平美作守忠昌が、城増築のため、町割りをした際、現在地に移り、真龍山心城院神宮寺と称した。
 これは、鎌倉神宮寺の旧名によるものである。慶安元年 (1648年)八月、徳川三代将軍家光公より当時十二世住職俊賀の代、改めて朱印七石を賜る。貞享五年(1688年)1月3日、類火に遭い寺宝、縁起等を焼失した。元禄四年(1691年)再建され、天正七年(1918年)大修繕し、その後、土台を強固にしたり、屋根の瓦を新しく葺き替え、現在に至る。
 この寺の名が、神社の意味の神宮寺というのは、かつて、古河の総鎮守である雀神社を監督する立場の寺であったことからきている。本尊の不動明王とは別にある十一面観音座像は、もともとは、雀神社の境内の観音堂にまつられていたが、明治二年(1869年)神仏習合が禁止されて、この寺にもどされた。
古河駅から神宮寺までの地図
真言宗 豊山派
1 .由緒沿革 興教大師の学灯を受けた小池坊専誉(1604年没)が天正十五年(1587年)豊臣秀吉より請けられ、大和の長谷寺を復興、以来碩学出で宗風を確立した。
2.総 本 山 長谷寺
3.本   尊 大日如来(普門の本尊)、曼荼羅海会の諸佛、菩薩、明王、天等(一門別徳の本尊)、また弘法大師(生身の遍照金剛)を本尊とすることもある。
4.教   義 宗祖弘法大師立教の本義に基づき、横竪の二教判を設け顕密二教を対弁し、十住心を建立し、六大、四曼、三密の体、相、用の三大において生佛円融の深義を開説して秘密瑜伽の観行を修習する。
四十九日法要までに本位牌の準備(塗り、黒檀、紫檀、回出)
白木の位牌は、葬儀の際に、用いる野辺送り用の仮の位牌です。白木の位牌は、四十九日の法要の時に菩提寺にお納めし、新しく作った本位牌は、ご住職に魂入れ(開眼供養)をしていただきます。

ご先祖の位牌を参考にしましょう。
ご先祖の位牌がある場合は、大きさ、形などを参考にします。
お位牌の種類と価格
新しい仏壇を購入されたら、ご住職に来ていただき魂入れ(開眼供養)の読経をお願いするのが習わしですが、四十九日法要の時に、ご本尊と本位牌を持参して、魂入れをしていただくことも多くなりました。
焼香の方法 香をつまんで軽く頭におしいただき香炉へ。
3回行ないます。
線 香 線香は3本立てる。