旧太田屋旅館
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古河宿脇本陣 旧太田屋旅館

       



























      

 

古河宿道標



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日光街道古河宿道標
寛永13年(1636年)に徳川家康をまつる日光東照宮が完成し、江戸と日光を結ぶ日光街道が整備された。その途中にある古河宿は、日光参拝の旅人などの往来でひときわ賑わった。日光街道は、江戸から古河に至り、二丁目で、突き当たり、左が、日光道、右が筑波道と分岐するように作られた。
分岐点に、建てられたのがこの標識である。
この標識は文久元年(1861年)に、太田屋源六が願主となり、11名によって建てられたもので、常夜灯型式の道標である。
左側に、古河宿脇本陣、旧太田屋旅館がある。























































 

鷹見泉石記念館


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古河藩の御使番役・鷹見忠徳(250石)の嫡男として古河城下に誕生する。1797年、給仕、目付、用人上席、番頭格などを経て1831年には280石の家老に昇進した。譜代大名土井氏は、代々幕府の要職を歴任しており、土井利厚利位父子もまた寺社奉行大坂城代京都所司代老中などの要職を務めていた。泉石は藩主に近侍して全国各地へ同行し、これら職務の補佐に務めた。1845年、加増をうけ330石となるが翌1846年に免職となって古河に隠居している。1858年、古河長谷町の隠居屋敷、鷹見泉石記念館にて死没。享年74歳。

対外危機意識の高まるなか幕政に当たる譜代大名の重臣という立場から早くから海外事情に関心を寄せ、地理、歴史、兵学、天文暦数などの文物の収集に努めまた。オランダ商館長(カピタン)など、当時の政治、外交の中枢にある人々と広く交流を持って洋学界にも大きく寄与した。